自然と暮らしとものづくり

福島県奥会津三島町2017年度第1期生活工芸アカデミーの日々を綴ります

極寒のユートピア

東日本大震災から7年目の3月11日を、福島県で迎えました。

なんだか不思議なご縁です。

震災を含め2011年に重なった事件?をきっかけに、

それまでの世界(自分?)から大きく動き出すことになり、

歩み続けた結果として、今この奥会津三島町にいるのです。

 

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この7年間は、それまでの価値観を変えるようなそれはそれは素晴らしい、

かけがえのない出逢いと経験でいっぱいでした。

今ここで、こうしたワクワクした日々を送れているのも、

やっぱり東日本大震災が私にとってひとつのターニングポイントだったなぁ。

あの時の価値観の崩壊、世界や自分への懐疑、そこから始まった

自らの五感で真実を確かめるために動き出した冒険。

自分を取り巻く当たり前のような自然、暮らし、ヒト、モノ、情報を

掘り下げていく時間は、確実に私を豊かに、幸せにしてくれたと思います。

 

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そんな3月11日、浅岐集落で謝恩会がありました。

春の訪れを感じるこの頃、いよいよアカデミー修了も近づいているのです。

お世話になった浅岐集落のみなさまへ、感謝と交流の機会をいただきました。

 

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国民幸福度の高いブータン、には行ったことはないけれど、

浅岐、三島町って、もしかしたら近いのかもしれないなぁと、感じたりします。

山間部に位置する小さな町で、伝統文化・芸能・祭事や昔からの暮らし方、

そこに根差したものづくりが広く深く今でも残っています。

現代社会のスピードとは違ったような時間の流れ、

限られているような情報や機会、どこか緩やかな思考や行動に、

(あくまでも、今までの私が、勝手に感じているだけのもの)

最高な心地よさを感じると同時に、どこかでなんだか落ち着かない

焦燥感のようなものを抱いている自分もいるのです。

 

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人口1700人弱、少子高齢化で存続が危ぶまれる(ほぼ)限界集落三島町

もちろん課題が山積しています。

しかし、なぜだかここは、私が今まで知らなかった優しくて温かい何か、

に満たされているような気がします。

「排除」するのではなく、迎えてくれる優しさ。

「気づかない」のではなく、気にかけてくれる優しさ。

厳しい環境だからこその支え合いの精神。

誰かが助けてくれ、どんなことにも感謝する思いやり。

浅岐、三島町での生活は、私にすごく、すごく大切なことを教えてくれました。

 

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浅岐生活、アカデミーでの共同生活を通して、

幸福感度がレベルアップした、というか、敏感になった気がする。

考え方のチェンジに柔軟になったとか、マインドセットが上達したとも

言えるのかもしれない。

 

 

ひとつは、小さくて薄くて狭くて少ないものが、見えるようになったこと。

際、間、縁、枠、隙、の面白さを味わえるようになったこと。

日々私たちアカデミー生を支え、導いてくださった浅岐のみなさまは、

決して広く多くの世界を見ているわけではないし、幅広い人脈があったり、

膨大な知識や情報を持っていたりするわけでもない。

昔からの深い山、雪の中での生活は、得られる人もの情報は限られていたはず。

だからこそなのか、すごく小さな、キラキラした「幸せ」を見つけるのが

お上手なのです!

気付かぬうちに刻々と変化する自然環境、集落内のほんのわずかな変化。

観察力と洞察力が本能的に働くような、半ば動物的?な敏感さがあります。

同じ景色を見ているはずなのに、同じ時間を過ごしているはずなのに、

その中で見える情景や文脈、物語の濃さは、本当に限りなく豊かなもので、

ほんの少し、私もその世界観が共有できるようになれた気がしています。

変わらない風景も、繰り返されるような日常も、カーソルを変えて

どんどん掘り下げていけば、楽しみの終わりなんて永遠にないんだろうな♪

 

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もうひとつは、気持ちをコントロールすること。

あらゆるものが限られているからこそ、その中で生きていかなければ

ならない窮屈さや諦めなようなものもあります。

正直きれいごとばかりではありません。

集落内にも共同生活内にも、人間同士のいざこざや不調和のようなものがある。

その中で起こる衝突やトラブルに対して、自分の感情をぶちまけて、

怒って機嫌を悪くして、相手が悪いと責めたりすることで、

一番苦しく損するのは本人だ。

他人を変えることは、難しい。

 

もしかしたらトラブルだと感じ、機嫌を悪くしているのは自分という単体の

価値観から判断した、至極勝手な感情なのかもしれない。

そうした時、「流す」「認める」「許す」というような、もしかしたら

悔しく苦しいかもしれない対応をするという選択があるのだ。

 

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我慢する、なんてしんどいから、流す。

相手のせいにするのではなく、自分が楽になれるよう、自分を省みてみる。

それが実は、小さなコミュニティで、田舎暮らしをするときに、

他人と共同生活をする上で、すごく重要なポイントになるのかもしれない。

気に入らない、嫌なところばかりに目を向けるのではなく、

いいところ、好きなところ、尊敬するところ、楽しいことを

自発的に積極的に見つめていく。

 

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どうしたら「自分にとって」心地よくなるか、思考を変える。

相手にこうして欲しい、なんて期待も、実は自分勝手で一方的な

押し付けでしかないのかも。

相手がどうするか、決めるのは相手の価値観だ。

それが自分のそれと合っているかの結果に過ぎない。

思い通りにいかないのではなく、起こったことを自分がどう解釈するか。

自分とは違うもの、として好奇心を持って目を向けられたら、

見える世界が倍になって、なんてお得で楽しいではないか。

 

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合理性ではなく、周囲の感情で物事の良し悪しが決まっていく。

そんな不確定な、説明できないような不安定なことを認められない自分。

日本人の良くない傾向として取り上げられる「同調圧力」。

でも、実際の小さなコミュニティでは、一定程度それが最適な方針だと今は感じる。

そして、ここには、一部その同調に納まりきらない事や人があっても、

寛容で、少々投げやりな、優しさと思いやりと転換から、

どんなものでも許して認めてくれる懐がある。

 

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縮小していくことで、濃度は増していく。

浅岐という小さな小さな集落で、何気なく繰り返される他愛ない日々の営みは、

グローバル社会で複雑に交錯する人間関係の縮図で、

これからの時代を生き抜く最強にシンプルで重要な技を教えてくれたのだ。

 

もしかしたらネガティブに感じる部分があるかもしれないけど、

そんなことはなくて、「幸福感」ってこうやって高めていくのかもを

教えてくれた浅岐。それが、心地よさを感じる温かくて優しい何かの正体。

 

浅岐で過ごせた11か月は、本当に本当に幸せでした。

自分的には、ちょっと丸く、ちょっと柔らかく、ちょっと大きく、

ちょっと豊かに成長できたと信じてますww

これからの人生に必ずや活きてくる、宝物がいっぱいです。

浅岐と、みなさまと出逢えたことに、心からの感謝。

ありがとうございました!